東京砲兵工廠技術将校出身の橋本増治郎が1911年に設立した快進社が前身。同社の製造権を譲り受けた日産コンツェルン創始者の鮎川義介が、33年に「自動車製造株式会社」を設立。34年に日産自動車に社名を変更した。60年代以降、「技術の日産、販売のトヨタ」と言われるほど高い技術力を発揮したが、「塩路天皇」と呼ばれた塩路一郎が率いる労働組合との闘争が長期化。80年代には高級仕様の「セドリックシーマ」「グロリアシーマ」がヒットして”シーマ現象”が起きたが、90年代に経営が悪化。99年、ルノーと資本提携して傘下に入り、2000年にカルロス・ゴーンが社長に就任した。16年、三菱自動車を傘下に入れる。18年、ゴーンが金融商品取引法違反で逮捕され、脆弱なガバナンスが露呈した。